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![]() つまり、程なくしてクラック中毒に陥ってしまったのである。この悪癖を17歳になった息子の目から隠すようにはしたが、自分を虜にしたこの災いを振り払う意志を奮いたたせることもできなくなってしまっていた。そんな中、口論の末にトゥパックは家を出て、借り主のいないアパートを不法占拠する少年の一団に加わった。自活しながら学校は丘を越えて、収入の豊かな子弟が多く集まるマウント・タマルパイ高校へ通った。 「女とつきあって、モノにして、まともな家だって持ってるのはどいつもこいつもバカな黒人ばかりだった」とトゥパックはパウエルに語っている。 「俺にはなんにもありゃあしなかった。みんな俺をよく馬鹿にしたもんだぜ・・・俺がドン底にいたそのせいでね」 そして、トゥパックはクラックの密売に手を染め始めた。「ごろつきとつるんで、連中は薬を売ってたけれど/でも、兄弟のよしみを俺は感じた」とのちに唄ったような生活を送っていたわけだが、すっかり薬に蝕まれたアフェニが薬を買っているのを数人の友人が目撃したと聞いて、すぐにその道からは足を洗い「自分の頭の中から極力おふくろのことをかき消すようにした」とのちに語っている。 ぎりぎりの生活を堪え忍びながら、さまざまな職を転々とし、女の子を追っかけ、詩を書き、そして、友人には、自分が死んだあとで焼いた自分の灰をキメたらすごくハイになれるぞと話し合ったりする、出鱈目な生活を送りながら、何よりもトゥパックを熱中させたのはラップだった。 |
![]() トゥパックの才能を見出したパフォーマンス・アーティストのレイラはソノマ郡にある自分の家の空き部屋をトゥパックに提供し、トゥパックはレイラに自分のマネジメントを委託することになった。しかし、八ヶ月経っても未だ一つのギグにもありつけなかったのに業を煮やしたトゥパックは、ある晩、作戦の練り直しをレイラに持ちかけた。 「みんなにはさ、俺がいつも言ってることを言ってやればそれでいいんだよ。俺がいずれ、これまでどんなラッパーも売ったことのないほどのレコードを売ってみせるはずだって」 翌日、オークランドを根城にするラップ・グループ、デジタル・アンダーグラウンドのマネージャー、アトロン・グレゴリーにレイラは電話を入れてみた。 「これまでにないってか?」とトゥパックの大言壮語に驚いたグレゴリーは「じゃあ、一つもんでやってみるとするか」と答え、荷物持ちのローディという振り出しからトゥパックのキャリアが始まった。ほどなくしてトゥパックはバンドのステージで踊りをとるようになり、遂にはマイクをもぎ取ったのだった。 |
![]() 「そこんところはステージでもほんと、いつでも頼りになったね。けど、パックが当てにならないのはいつでもかんしゃくを爆発しかねないってことなんだ」 事実、トゥパックは最初のMCパフォーマンスを飾ったその日にかんしゃくを爆発させたのだった。PAに問題があって、グレゴリーはやっとのことで機材担当のスタッフを殴りつけるトゥパックをなだめたのだった。 その一方でトゥパックは[ああ無情]からエドガー・アラン・ポーの作品、あるいは老子の教え、モーツァルトからシェイクスピアにまで通じている教養人としての顔も持っていた。しかし、ラッパーの間ではそういう教養は普通まったく意味のないものだった。意味があるのは州警察官にどれだけ汚い口で罵倒を浴びせることができるかという骨っぽい資質だった。そして、こうした虚勢を張るにはそれなりの代償がつきものであったし、ストレスからトゥパックの髪の毛も一塊づつ抜けはじめていた。 しかし、トゥパックにはそれとて些細なことに過ぎなかった。いかれたラッパーというアイデンティティを手にしたことから較べればそんなことはなんでもなかった。遂に自分は人より抜きんでて際だった人物になったのだ。 「それが俺にとって最も重要なことだったんだよ。みんなが俺のことを知るんだっていうね」 |
![]() それにデジタル・アンダーグラウンドの能天気なラップ・スタイルも問題だった。 トゥパックにしてみれば、今や主流はギャングスタ・ラップであり、ロサンジェルスはそのメッカとして花開いていた。90年にはギャングスタの主要人物、つまり、ドクター・ドレイ、スヌープ・ドギー・ドッグ、イージーE、アイス・キューブ、アイスTなどがほとんどロサンジェルスに勢揃いしていた。不気味に徐行するカー・ステレオからは“ビー・リアル・ニガーズ!”というラップがこだまして、合い言葉は“ファック・ザ・ポリス”というわけだった。ギャングスタの作り手の多くが実は、善良でちゃんと親も揃ったしっかりした家庭の出身であったにもかかわらず、ギャングスタは売れまくった。 それは黒人はもちろん、典型的な白人にも売れたのである。 そんな時、マネーBは[ジュース]という映画のリード役のオーディションを受けてみると息巻きながらロサンジェルスに立ち寄って、この話を聞きつけたトゥパックもこのオーディションについていくことにした。マネーがオーディションを受けたのは、自分の犯罪を隠蔽しようと親友らまで撃ち殺す冷血なちんぴら、ビショップ役だった。 しかし、マネーではその冷酷さを演じるのに力不足だった。そこで脚本をわしづかみにしたトゥパックは「俺ならこの役、朝飯前だぜ」と言い放った。 |
![]() 「じゃあ、ちょっとやってみろよ」 そのあとに目撃した演技にモリッツは文字通り、衝撃を受けた。 「ダイナミック、大胆、力強さ、惹きつけるような魅力と、いくらでも形容のしようがあったよ」とモリッツは語る。 撮影はハーレムで行われ、スパイク・リーのカメラを担当してきたアーネスト・ディッカーソンが演出を担当した。撮影がクランク・アップした日、モリッツはトゥパックを脇に呼び、その演技を称え、「君は十年後、とてつもないスターになっているはずだよ」と言ったが、トゥパックは「十年後に俺はもう生きていないよ」と答えたのだった。 その頃、ロサンジェルスではグレゴリーがインタースコープ・レコードとの契約をまとめていた。 その成果となったファースト[2パカリプス・ナウ]は50万枚のセールスを上げ、[ジュース]の公開が打ち切られても[2パカリプス・ナウ]は売れ続け、トゥパック人気に突然、火が点いたのだ。 |
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