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2Pac/ R U Still Down? (Remember Me)
(Amaru/Interscope/Jive Records 1997/01241-41628-2)


「現実と虚構をはき違えたギャングスタ・ラッパー」にあらず。
パブリック・イメージとは異なり、社会意識に溢れるリリック・・・
語られざる真実を追求


 「マスコミが2パックのことを悪く言っていただけで、実際の彼はそんな人物ではなかった。優しいところがあったし、気立てもよかったんだ」。
 96年9月13日以降、2パックあるいはトゥパック・アマル・シャクールについて語る際、上に挙げたヴォンディ・カーティス・ホール(『グリッドロック』の監督)によるコメントとほぼ同じ内容のものがずいぶんと出回っている。
 こちらも、死者を鞭打つ気は微塵もない。しかし、紋切り型の口上を並べるだけでは、真の意味で彼という人物について語ることにはならないのではないだろうか?とはいえ、既に報じられているように、彼が生前にリリースした曲の数に匹敵する、いや、それ以上の数にのぼる曲が今後発表されてゆくことが正式に決まったのだから、「時の人」としてではなく、アーティストとしての2パックについて語ることができるのは、むしろこれから先のことになるだろう。そんなわけで、現時点では2パックにまつわる常識に対してほんの少しだけ別の見方を試みることによって、今後の2パック論の新たな糸口が見つかればいいと思っている。

 "Mama raised a Hellrazor..."。97年末にリリースされた、目下のところ2パックにとって最新アルバムである「R U Still Down? (Remember Me)」には、こんなサビの曲("Hellrazor")が収められている。「恐るべき子供を育ててゆく母親」。この曲がいつごろ書かれたものなのか定かではないし、そのライムに読み込まれているのが2パック自身の母親であるかどうかという問題は別にしても、他のラッパーに比べ2パックの書くリリックには「母親」が頻繁に姿を現す。周知のとおり、彼の代表曲の一つに"Dear Mama"があるが、ここでは母親とのケンカがもとで17歳のときに家を飛び出した主人公が、その数年後に、女手一つで苦労しながら自分を育ててくれた母親に対する感謝の気持ちをあらわにしている。この曲に大々的に引用されているスピナーズによる元祖・母の日ソング"Sadie"、あるいは現在大ヒット中のボーイズIIメンによる"A Song For Mama"を見ても分かるとおり、R&Bの世界では「母に捧げるバラード」が不特定多数のリスナーを視界に入れて発表されてきた。そんな中にあって"Dear Mama"は、ゲットーのシングル・マザーに向けられたラップである点がユニークだった(もちろんこの曲の下地になっているのは93年の"Keep Ya Head Up"であり、96年のマキャヴェリ名義曲"Krazy"にも関連性が見出せる)。
 「たとえクラック中毒のママでも、あんたはブラック・クィーン・ママだよ」。母親アフェニとの関係をモデルにしたというこの曲で、2パックはここまで言い切る。そこまで母親を崇めているというのが、このフレーズの真意だろうが、仮に恐るべき子供「ヘルレイザー」を育てているのがクラック中毒のママだとしたら、それだけで今まで考えられてきた以上に、相当エグい生活環境が見えてくる。
 91年の"Brenda's Got A Baby"も、12歳のいたいけなブレンダが無知ゆえに妊娠・出産し、赤ん坊を遺棄したうえ、家からたたき出され、クスリに手を出し、結局はカラダを売って生活費を稼ぐことになる・・・というストーリーだった。そしょて、ここにも「ブレンダはパパとママがジャンキーだとは知る由もなかった」というフレーズが出てくる。ゲットーのライフスタイルの悪循環に目を向けず、本来なら十分に衝撃的であるはずの「ブレンダに赤ちゃんができた」ことに動じるどころか「そんなこと俺たちには関係ないね、ブレンダの家族の問題だろ」と切り捨ててしまう大多数の人たちに向けて、2パックは言う。「これが社会にどんな影響を及ぼしているか教えてやろう」。
 この"Brenda..."も実話に基づいて書かれたということになっているのだが、ここで気になるのが、96年の2パックの死に際して繰り返しメディアに登場した「現実と虚構をはき違えたギャングスタ・ラッパー」なる決まり文句だ。このフレーズから「ギャングスタ」という語句を取り除くこともできるし、ここまで書いてきたことを考えあわせると、2パックは「現実と虚構をはき違える」どころか、現実と虚構の行来を意図的に行えるような才覚を持った人だったのではなかろうかという見方もできる。

 "Brenda..."が収録された2パックのデビュー・アルバム「2pacalypse Now」の中で、俎上に乗せたいのが"Words Of Wisdom"。当時20歳になったばかりの2パックはこの曲で「歴史の教科書にはマルコム・Xは出てこない。なぜだ・・・しょっちゅう、キング牧師が出てくる。なぜだ・・・」と言っている。今、重要なのは、彼の母親アフェニ・シャクールがマルコム・Xと通じていたブラック・パンサー党員であった、というあまりにも有名な事実とこのリリックの関係を語ることよりも、このアルバムがリリースされた1991年がどんな年であったかを考えてみることである。スパイク・リーの手によって映画化されたことにより、マルコム・Xがブームになったのもこの91年であり、そのマルコム・Xによる思想の影響下にあった(ある)パブリック・エナミーのものだった「天下」が、ギャングスタ・ラップという言葉を巨大なマーケットに変えたNWAに奪われたのも、91年だったのだ。
 この91年から2パックが亡くなった96年に至る5年間のヒップホップ・シーンの流れの中で、NWA一派に対するパブリック・エナミー的勢力の位置づけの変化と、2パックの作品内容の変遷を重ね合わせることでも、2パックの存在がいかなるものであったのか見えてくることだろう。(2パックの後年のギャングスタ・イメージからすると意外だが)誰よりも早く2パック哀悼の意を表したチャック・D(パブリック・エナミー)は、セールス的に(批評的にも)全くと言っていいほど振るわなかったソロ作「Autobiography Of Mistachuck」で細々とパブリック・エナミーの思想を伝えていた。同様に2パックも、映画「パンサー」の関連アルバム「Pump Ya Fist」やマキャヴェリ名義の「The 7 Day Theory」で、今なお「無実の罪で」獄中にあるパンサー党員ジェロニモ・プラットの釈放を求めている(2パック自身が塀の中の人になる前は、プラット救済ライヴを数箇所で展開していた)。2パックが、その「サグ」「ギャングスタ」的イメージとは裏腹に、パブリック・エナミー的な「意識の高い」活動もしていたことは注目しておいていいだろう。
 今回リリースされた「R U Still Down?」より前、つまりマキャヴェリ名義の「7 Day...」までの既発曲のみを通してでも、2パックに関する常識は、以上のような見直しが可能なのである。「R U...」を聴けば、「Strictly 4 My N.i.g.g.a.z.」や「Me Against The World」の収録候補曲でありながら、最終段階で割愛されたであろう曲の中に、これまで聴いたこともないほどブラック・ナショナリズム色の濃いものもあり、それらによってまたひとつ、2パックに対する見方が変わってくるだろう。そしてさきほど書いたように「パブリック・エナミー対NWA」の勢力推移と2パックのキャリア変遷の類似性がより明らかになり、そこから98年に2パックが生きていたら、いかなるラッパーになっていたか、という点もかなりの確率で予測できたことだろう。
 非常に矛盾した言い方であるのは承知しているが、今後リリースされる2パックの作品が多いに楽しみである、と言ってしまおう。しかも、そういった作品を送り出すのが、トゥパック・アマル・シャクールをこの世に産み落としたアフェニ・シャクールの設立したアマル・レコードだ。今回触れた「母親」や「社会意識」、「ブラック・ナショナリズム」といったトピックは、2パックについて語るうえで、紋切り型を脱しながら、ますます重要な要素となっていくだろう。
-- 2PACalypse Right Now!
Many Facets of 2Pac
(black music review 1998)



 96年9月に凶弾に倒れて帰らぬ人となってからも、初期の作品やマキャヴェリ名義のアルバムがリリースされたり「本当は生きているんじゃないか?」などの噂が出たりと、なにかと話題が絶えることのなかった2パックだが、今度は他界してから約一年目にしてレーベルをデス・ロウからジャイヴに移籍し新作がリリースされる。
 と言っても、もちろん新曲ではなく、インタースコープに在籍していた91年から95年の間に、録音はされたが、なにかしらの事情でお蔵入りになっていた物を全部で26曲も発掘してきて、CD2枚に纒めた企画物なんだが、この辺りの時期の作品といえばデス・ロウ時で見られたゴリゴリのギャングスタ系とは違い、レイド・バックと穏やかさに溢れた"I Get Around"や"Keep Ya Head Up"など、一連の2パック作品の中でも、特に名曲が生まれた時期なので、内容に対し当然のように期待が高まる。
 というわけで早速中身についてなのだが、まずはDisc-1の方からいくと、"Dear Mama"などをプロデュースしたトニー・ピザーロによるアルバム・タイトル曲の(3)。パワフルで勢いがありながら、ちょっと切なさを帯びたトラックがポップで親しみやすく94年当時の名曲を彷彿させる一品。メロウなピアノのイントロで始まるR&B調のトラックが美しい洗練された清涼感が溢れる(7)"I Wonder If Heaven Got A Ghetto"では「天国にもゲットーはあるのか?」とイントロやフックで唱えていて、今となってはかなり意味深い・・・。その次に来る(8)"Nothing To Lose"は、BPM早い哀愁系のトラックによる、軽快で疾走感のある作品。ポップなムードがかなり強く、とても親しみ易い雰囲気が出ている。Disc-1で最大の盛り上がりを見せるのが、ブラック・ムーンの"Back 'Em Down"と同じ、ドナルド・バードの"Wind Parade"を使った(13)"Difinition Of A Thug Nigga"。ネタのループから生まれる爽快感が非常に心地イイ会心の出来。これこそ未発表で終わらせなくてよかった。Disc-2で耳に残るのは、東系の硬質なブレイクと2パック特有のエフェクトがかかったラップが絶妙な相性を見せる(3)"Hold On Be Strong"。レイド・バック・ネタの定番、ボビー・コールドウェルの"What You Want Do For Love"を使った(6)"Do For Love"。この曲には、ブラック・ストリートのエリック・ウィリアムズがフックで参加していて、曲のレイドバック感を輪をかけて盛り上げている。(8)"Nothin' But Love"はシングル"I Get Around"にも収録されているバウンシーな一品。
 とりあえず、26曲全てが良い作品ではないので多少の水増し感は拭えないが、なかなかの力作が揃っているので聞き応えは充分。故人のファンならずともイケる。
(FRONT 1998 Feb.)


 一体、この人のワーカホリックぶりはどうなっていたのだろうか?96年にラスヴェガスで銃殺され、それから遺作となったアルバム「マキャヴェリ」がリリースされ、それからもサントラで音源がいくつもリリースされ、それも捨て曲/アウトテイクとは言い難いものだった。しかし、音源はまだ残っていたのである。デス・ロウに残っていた音源を法廷闘争で手中にしたトゥパックの母親が新たにレーベルを設立、いきなり2枚組CD24トラック収録というすさまじいヴォリュームの未発表音源をリリースしてしまったのである。つまり、これだけのものをせっせと作っていたということになるわけだが、内容はどうなのかというと、これがまた素晴らしい!音的には「オール・アイズ・オン・ミー」のようなあざとさもあれば、「ミー・アゲインスト・ザ・ワールド」の切なさも満載という、要はトゥパックのコマーシャル・ポテンシャリティをたたきつけてきた前者とトゥパックのアーティスト性を広く知らしめた後者の両者が止揚された、すごくバランスのいいものなのだ。
 ファンとしては本当にたまげるほどに嬉しいこの贅沢すぎる内容は、好きな曲など甲乙付け難く、とにかく現時点では全部すごいとしかいいようがない。トゥパックは希代の天才肌ラッパーだし、脂も乗り切っていただけに、イメージさえはっきり見えてれば、これだけのクオリティーの作品はいくらでも生み出せた状態にあったということなのだろうか。
(rockin' on 1998 Feb.)


 「うちの息子は多作だったのよ」と語ったのは、故2パックの母親アフェニだが、息子がインタースコープ及びデス・ロウに残した百数十曲の権利を獲得したというのは以前報じられた通り。さて、どんな形で発表されるのかと思いきや、まずは今流行りの2枚組ときた。次に気になるのは収録曲の録音年となるわけだが、クレジットがないのでいろいろと邪推することになる。さすがに2CDということで、「Me Against The World」あたり、そしてサグ・ライフ名義で発表したアルバムに収めきれなかった曲(なにしろ、あのアルバムのタイトルは「Thug Life Vol.1」だったのだ。当然、当初から複数枚出す計画であったはずだ!)を中心に、デス・ロウ復活以降の曲も少々加えてみましたといった感じだろうか。ただ、"Me Against The World"のトラックを作ったソウル・ショック&カーリンがプロデュースしたDisc-1(7)"I Wonder If Heaven Got A Ghetto"に、ブラウンストーンのマキシのヴォーカルを被せ<Hip Hop Version>としたDisc-2(10)を聴いたりすると、Featuring Eric Williams of BLACKSTREETとクレジットがある同コンビ制作によるDisc-2(6)"Do For Love"で聴かれるエリック・ウィリアムズのヴォーカルは、後からオーヴァー・ダブされたものではなかろうか、と余計なことまで考えたりしてしまう。これがファン心理か?
 まあ、そんな熱心なファンでなくとも、キャリアの後年になるに従って2パックのフロウが力のこもったものに変わっていったのは周知の通り。ヴァル・ヤングをフィーチャーしたDisc-1(4)"Hellrazor"(どうやらこの曲もライヴ・スクワッドが作っておいた曲にQDIIIが手を加えたもののようだ)、マイク・モズリー制作のDisc-1(9)"I'm Gettin' Money"、スパイス・ワンとビッグ・サイクをフィーチャーしたDisc-2(4)"I'm Losing It"の3曲は、恐らく2パック最後期にレコーディングされたもので、本作収録曲の中では真の意味で新曲(Disc-1(13)以外は全て今回初めて日の目を見た作品なのだが)を聴いているという気持ちにさせてくれる。
 さて、アマル/ジャイヴからの未発表曲集第2弾はどんな選曲でリリースされるのだろうか。できれば、あんまり加工されていない状態で聴かせていただきたいのだが・・・。
(black music review 1998 Feb.)


November 25, 1997 Released


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