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MAKAVELI/ The Don Killuminati - The 7 Day Theory
(The New and "Untouchable" Death Row/Interscope Records 1996/INTD-90039)

 昨年の11月に観たフュージーズとデ・ラ・ソウルのライヴは、僕が今までに観たヒップ・ホップのライヴの中でも最も感動的なものだった。リズム・セクションを従えてのフュージーズと、ターンテーブル1台で見事な高揚感を生み出したデ・ラ・ソウル。彼らのステージは、96年のヒップ・ホップの在り方を僕に強烈に印象付けてくれたのだが、そのタイプの違う彼らが、共にステージの上で2パックの名前を呼んだのにも驚かずにはいられなかった。
 フュージーズのワイクリフは、ライブの冒頭に「今夜のライヴを2パックに捧げる」と言って1曲目に"California Love"をぶちかます。デ・ラ・ソウルは、ステージが佳境に入った頃、「みんな、2パックは好きか!」と呼びかける。それもトライブやスヌープらの名前と一緒に、まるで2パックがまだ生きているかのように。実際、このマキャヴェリのアルバムを受け取っていた僕は、その場に2パックが出てきそうな、妙な錯覚を覚えてしまったくらいだ。
 2パックがマキャヴェリと名前を変えてアルバムを作ったのは、獄中でイタリアの思想家、マキャヴェリの『君主論』を読んだからだという。しかし、それと同時に、彼はギャングスタ・ラッパーとしての2パックの終焉を薄々感じ取っていたのではないだろうか。というのも、彼の遺作になるこのアルバムには、作風にいろいろと変化が見られるのだ。
 まずサウンド面だが、前作「All Eyez On Me」での享楽的な響きは後退。その代わり、ストイックというのともちょっと違う、滋味に富んだ曲が並んでいる。歌とラップを対比させる手法はよりこなれ、最初のインパクトだけではない複雑なニュアンスを感じさせる曲がとても多い。K-CiとJoJoをゲストに迎えた(3)"Toss It Up"や、ヴァル・ヤングという女性シンガーとの(4)"To Live & Die In L.A."などは、その最たる例だろう。ついこのあいだ2枚組を出したばかりだというのに、わずか半年後に、それをさらに凝縮して発展させたようなアルバムを出してきたのだから、ここに有終の美を感じないわけにはいかない。
 そしてリリックだが、ここにも彼が進もうとした道は確かに見える。東のアーティストや前作で共演したドレーまでこき下ろす曲もあるにはあるのだが、何というか、2パックの自伝的な内容を持つリリックがやけに目に付くのだ。例えば、LAでの生活を描いた(4)や、父親を知らずに育ったという生い立ちが重なる(7)"Just Like Daddy"。「俺は今立ち直ろうとしてるんだ」と歌われる(8)"Krazy"や、「この残酷な世界に負けるな」と歌われる(9)"White Man'z World"。僕が思うに、このアルバムは、今までで最も素顔に近い2パックに触れられる、イノセントな作品という気がする。たとえそのイノセンスまでが演じられたものだったとしても、僕は喜んで騙されよう、そう思える快作だ。トゥパック・シャクール、レスト・イン・ピース。


(MUSIC MAGAZINE 1997 Feb.)



rockin' on
1997 Jan. --
ヒップホップに興味がなければトゥパックの死などたいして意味を持たないのだろうが、僕にとってトゥパックは切実なリアリティを感じさせてくれるアーティストだった。それはトゥパックが自分の活動の動機となったものに誠実であり続けたからだ。プリンスも言っていたように、あとになってみると些細なことのように思えることでも、重い重い原体験となるものだ。そして、その後の人生の歩み方は人それぞれで、千差万別である。でも、"All Bout U"のグッとくるファンキィ・ビートと恋愛をめぐる絶望的にシニカルなラップを聴いていると、“あの時、本当に寂しかったんだ”という琴線に触れられて、今もあの半ば絶望的な刹那が蘇ってくる。それはいわば癒されない刹那だったと言えるのかもしれない。
トゥパックはラッパーのなかでも、実はアーティストとしてかなり志の高い人だった。それと同時に元ゴロツキでもあったトゥパックの身上は、そういうギャングスタとしての刹那ややむにやまれなさを情感いっぱいに語ることにあった。しかし、前作「オール・アイズ・オン・ミー」でトゥパックはデス・ロウと組み、自らのストリート性を徹底的に商品化する術を追求した。なぜかというと、自分の生い立ちを徹底的に対象化してしまうことが、何よりも嬉しくてしようがなかったからだ。しかし、そうするにあたっての覚悟の程を明らかにしたのが、マキャヴェリという変名を使い、遺作となった本作の内容なのである。

マキャヴェリは君主論で知られる16世紀のイタリアの思想家だが、そのマキャヴェリを名乗ったアーティストが他ならぬ故2パックだ。その2パック改めマキャヴェリのアルバム「ザ・ドン・キルミナティ―ザ・7・デイ・セオリー」がリリースされ、全米で初登場1位に輝くビッグ・ヒットになっている。いうまでもなく、今年の音楽界で悪夢のような出来事になってしまったのが2パックの急死だった。9月7日にラスベガスで行われたマイク・タイソンの試合を観戦した後、車で移動中のところを銃撃された2パックは、ファンの悲願もむなしく9月13日についに帰らぬ人となったのだった。トラブルメイカーとして知られる彼は、以前にも銃による重傷を負いながら奇跡の生還を果たしていただけに、今回も助かるのではないかと大方は見ていた。それだけに、25歳の若いラッパーの死は各方面に大きな衝撃を投げかけたものである。先にアルバム「オール・アイズ・オン・ミー」をNo.1にしたまさにキャリアの絶頂期にいた矢先の出来事だった。
「ザ・ドン・キルミナティ―ザ・7・デイ・セオリー」はその2パック改めマキャヴェリの遺作となるもの。2パックが監獄の中で読み耽っていたのがマキャヴェリの『君主論』で、マキャヴェリズムに大きく傾倒したのが改名の大きな理由だったといわれる。マキャヴェリ・ザ・ドン・キルミナティ=殺人啓蒙家マキャヴェリという改名が皮肉とは思えないほどずっしり重い内容で、いきなりイントロでNASやノトーリアスB.I.G.に挑戦状を叩きつけるなどとにかくセンセーショナル。磔にあったキリストを彷彿させるジャケットのデザインそのものも、マキャヴェリとして聖人に生まれ変わった彼を象徴しているかのようだ。アルバムにはJODECIのK-Ciとジョジョやアーロン・ホール、ジ・アウトロウズといったゲストがフィーチュアされている。
-- BUPPIE CLUB
1997 Jan.

black music review
1997 Jan. --
あの大作「All Eyez On Me」がトゥパック・アマル・シャクールの遺作だとすれば、これはマキャヴェリ・ザ・ドン・キルミナティと改名後の最初で最後のアルバムとなる。ここにはThe Artist formerly as 2Pacがもっていた怒りや焦り、諦め、問題提起、愛、宗教が無造作に詰め込まれている。(少なくともサウンド面では)不思議なくらい陽性を感じさせた「All Eyez On Me」に比べても、不気味な暗さをもったアルバムである。JoJo、K-Ci、アーロン・ホール、ダニー・ボーイが参加のシングル(3)"Toss It Up"にしても、"How Do U Want It"のようには明快にファンクしていない。東海岸勢をディスしまくるその姿は、東西抗争のカナメへと担ぎ上げられてしまった故2パックの亡霊のようで痛々しいし、アヴェ・マリアへ宛てた(2)"Hail Mary"も彼の遺体を見下ろすようにも思えて悲しすぎる。並の評価は不可能な一枚。


 以前に一度銃撃に遭っていること、出来すぎのビデオ・クリップ("I Ain''t Mad At Cha")の存在・・・と不可思議な事柄が渦を巻く2パックの周辺だが、彼が生前レコーディングを終えていたラスト・アルバムがドロップされた。アーティスト名義は既報の通り、かのマキャヴェリである。
 マキャヴェリとは16世紀の政治思想家。自らの覇権のためには手段を選ばず流血も辞さない、という彼の姿勢に賛同したという2パックだが、結果としてそのマキャヴェリズム的シチュエーション下で命を落としたというのは皮肉としか言いようがない。それとも彼は自虐的嗜好の持ち主だったのか?いや、そうではないだろう。彼が持ち合わせていたのは、何物にも代えがたい「英雄願望」だったのではないだろうか。彼が死にたがっていたとは思えない。ただ、「自分が真のヒーローになれる時」を模索していたこと、それが死のイメージを伴っていたことだけは確かだと思う。
 その顕われとして形になってくるものが、例えば(4)のようなタイトルの曲だろう。しかし、本作では以前に比べて死ぬの生きるの言ってる曲の比率が下がっていることもあり、やはり改名と共に「とにかくヤッてやる」という意気込みが感じられる。まず(1)"Bomb First"の前のイントロから「モブ・スリープ(ディープ)、ノトーリアスP.I.G.(B.I.G.)、Nas、ジェイ・Z等が2パックの暗殺計画を目論んでいる」として叫弾しており、同曲はもちろん(12)"Against All Odds"でもバッド・ボーイ勢や上に挙げた連中に死刑宣告する等"LA, LA"以降の展開が何もポジティヴな方向性をもたらしていないことを示している。これでは標的にされても致し方ないとさえ思える内容だが、ひとつ引っ掛かるのは2パック自身は元々NY(ハーレム)の出身だということだ。まあ各地を転々としたことから地元感が薄れたとも取れるが、出身地をここまで憎まなければならないという境遇も不憫だと思う。
 またプロダクション的なことに触れれば(1)は“アップタウン・アンセム”ネタ、(6)"Life Of An Outlaw"のベース・ラインは縦横無尽に跳ね回っており、ジ・アウトロウズの客演と共に相当心地よく聴くことができる。サンプルがどうのこうの言う前に、楽曲として良くできている。(3)は再びJodeciのK-Ci&JoJoと競演、アーロン・ホールとデス・ロウ初のR&B系新人:ダニー・ボーイも参加して怒濤の歌合戦が展開される“ノー・ディギティ”テイストの曲だし、前述の(4)は妙にブライトな曲調にプリンス“ドゥ・ミー・ベイビー”の間奏をまぶして爽やかに仕上げている。そして(10)"Me And My Girlfriend"ではスパニッシュ・ギターをフィーチュア・・・とバラエティに富んだ作り。ただ、この先マキャヴェリと2パックの二名義でやっていくつもりだったのだとしたら差別化は難しい。何を言っても事実は闇の中だが・・・。享年25歳、死ぬには早すぎた。
(FRONT 1997 Jan.)


November 5, 1996 Released





2PAC/ ALL EYEZ ON ME
(Death Row/Interscope Records 1996/314-524 204-2)

 本人は罪を否定したものの、性的虐待事件で有罪を食らいムショ入りしていたトゥパックの出所後第1弾。2枚組ながら、予想通り発売と同時に全米アルバム・チャート初登場第1位という凄さ。トゥパックも深く絡むウェストコースト勢対イーストコースト勢(トゥパック/デス・ロウ対ビギー/バッド・ボーイ)の抗争とか、日本にいると詳しい事情がわからないせいか、今ひとつリアリティをもって伝わってこなかったりもするのだけれど。何にせよ周辺で発砲は相次ぐし、権利問題はもめまくってるみたいだし。そういうもろもろも含めての盛り上がりなのだろう。インターネットのラップ関係のニュースグループとか見ていると、あちらのMTVは連日ファースト・シングル"California Love"の豪華クリップ(ドクター・ドレ&ロジャー・トラウトマンも出演)を流しまくっているみたい。雑誌も次々インタビューを掲載しているし。お騒がせマンとしての役割も含め、現在のシーンを牽引するトップ・アーティストの座はもはや確固たるもののようだ。
 出所祝いに、というわけでもないだろうが、そうそうたるゲスト陣が駆けつけた。前述したドレ、ロジャーを筆頭に、ジョージ・クリントン、スヌープ・ドギー・ドッグ、レッドマン、メソッド・マン、ジョデシィ、E-40、ドッグ・パウンドなどなど。プロデューサーとしても、ドレの他、QDIII、ダット・ニガ・ダズ、DJプー、ボブキャット・・・。現在のヒップホップ・シーンのイキのいいところを総まくりしたかのような布陣だ。70分級のフルCD2枚組というボリュームはさすがにヘビーではあるけれど、妙な小細工を弄することもなく、ミディアム〜スローのビートを基調にほぼ直球勝負で乗り切っているところが面白い。自信に溢れる男はいいね。痛快だ。
 細かいところまで歌詞をつかみ切れてはいないので最終的な判断を下せずにいるのだが、音だけ取り出してみても、かなり出来のいい曲ぞろい。中でもやはり"California Love"。ぼくはこいつにハマった。ビデオ・クリップで流れているのはシングル・ヴァージョンのようだが、こちらはアルバム用のリミックス・ヴァージョン。断然、こっちの方がかっこいい。ロジャーのヴォコーダーぶりぶりのオハイオ・ファンクと、ドレ&トゥパックのGファンクが見事合体。いきなり先鋒として切り込んでくるドレのフロウも相変わらず見事だし、それを受けるトゥパックのタイトなラップも腰にくる。もちろん、両者をつなぐロジャーのコンピュータ・ヴォイスもごきげん。これならクインシーおじさんも文句なしじゃないですか?この曲に限らず、魅力的なリフを持つ曲だらけ。ヒップホップの世界でも作曲能力が物を言う時代になってきたって感じかな。
(MUSIC MAGAZINE 1996 Apr.)


 出所後、デス・ロウへと直行した2パック。「俺対世界」に続く爆弾がこの「みんなが俺を見つめてる」だ。なんと2CDセットで、ビルボード・ポップ・チャート初登場1位!参加メンツがまた豪華。いちいち挙げていくとキリがないが敢えて書く。客演がスヌープ、ネイト・ドッグ、ドゥルー・ダウン、ドッグ・パウンド、レッドマン!、メソッド・マン!!K-Ci、JoJo、ラッピン・4・ティ、ドクター・ドレイ、ロジャー、ダニー・ボーイ、ジョージ・クリントン、ミッシェレイ、E-40と、東西オイシイ面子をズラリ揃え、プロデュースは、ダット・ニガ・ダズ、ジョニー・J(コイツがかなりイイ仕事してる)、デヴァンテ、ドレイ、ボブキャット、DJプー、QDIIIといった面々が手掛けている。
 お約束のカヴァーは、前回に続きキャミオ・シリーズ“キャンディ”を筆頭に“コンピューター・ラヴ”、ガイの“ピース・オブ・マイ・ラヴ”などという鬼のような選曲で、その他大ネタがあちこちで炸裂する(でも殆ど弾き直し)。デス・ロウ移籍により、サウンドは一段と激ハイファイ化を遂げ、ヒップホップだけが好きな人にはもう絶対に聴いてらんない代物であることは確実だ。捨て曲もかなりある。だが、暴走ぶりがハンパではない(タイムの“777-9311”モロ使いという完全に狂っているナンバーもある)ため、この一大男樹ファンク絵巻には一種の痛快さすら漂っている。特に場末のサパー・クラブ感濃厚な"I Ain''t Mad At Cha"は、今年かなり好きになりそうな曲だ。2パックの戦いは続く。
(FRONT 1996 May.)


February 13, 1996 Released


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