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2Pac Interview "This Thug's Life" Part 2
どこに行けばトラブルから縁が切れるっていうんだ?用心深くいられる場所なんてありゃしねぇよ

(C) Kevin Powell/ 1994 Time Publishing Ventures Inc.
 ボルチモアはトゥパックにとって初めて、自らのアイデンティティを意識するようになった場所だった。「生まれて初めてラップを書いたのもあそこだった。俺はMCニューヨークって名乗ってた。その頃だよ、俺が周囲に馴染み始めたのは。徐々に名前が売れ出したのさ」
 彼はオーディションを受け、ボルチモア・スクール・オブ・アーツに入学した。そこで彼はようやく、自分自身との意志の疎通を確立したと感じたのである。新しい現実と共に。
 「白人のガキ共は俺たちが見た事もないようなもんを持ってた。俺はあそこで初めて、白人でも仲良くやってける奴がいるってことを発見したんだ。それまでは、俺は他の奴らが言う事を頭っから信じ込んでた;あいつらは悪魔だって。でも俺は凄く楽しかったよ。学校に行くのは大好きだった。色んな事を山程教わったし、あそこで俺は、本気でアーティストになりたいと思うようになったんだ」。彼はちょっと言葉を切って、悪戯っぽくニヤリと笑った。「白人の女の子しょっちゅうヤってたよ」
 「彼は恐ろしく才能豊かな若き俳優でしたよ」と言うのは、同校の演劇科長を務めるドナルド・ヒッキンズである。「彼は自信を持ってたし、リスクを恐れませんでしたね。練習所ではいつも非常に真面目でした」。それからヒッキンズは――ちなみに彼は白人である――こう付け加えた;「トゥパックにとって、周囲に彼のことを本気で気遣い、本気で助けたいと考えている白人がいるというのは、それ以前には全く経験のないことだったんです。彼にとってはかなり衝撃的だったと思いますよ」
 「彼が俺を育てようとしてくれてるのは感じてたよ」、トゥパックはヒッキンズについて言う。「けど彼には出来なかったんだ。俺はゲットーから来た黒人のガキで、彼の力でどうにか出来るレベルじゃなかった。彼の顔を見るとそう書いてあるんだよ、何とかして俺を助けてやりたいけど、この問題は彼の手には負えないって」
 3学年目が終わった17歳の時、トゥパックは家族と共にカリフォルニア州マーリン・シティに移り、結局高校を終えることはなかった。彼は組んだ両手を頭の上に乗せ、大きなため息を吐き出した。「あの学校を辞めたことは、俺にとっては凄く大きかったよ。今になってみても、あそこが俺が道を踏み外すことになった分岐点だったんだ」

 マーリン・シティはオークランドと湾を挟んで対岸に位置している。ニックネーム“ジャングル”は、この街の実体である大住宅群と、トゥパックによれば「あそこのニガー共がみんな騒ぎを起こすのが好き」であることに由来すると言う。「マーリン・シティに移って」、アフェニは言った。「トゥパックはストリートの掟を叩き込まれたの」。さらに、彼は母親からは得ることの出来なかった、一人前の男になるための幾つかの教えもここで学んだ。
 「それまでにもストリートにいたことはあったけど、それはあくまでうちのオフクロの息子としてだったんだ」、トゥパックは言う。「でもマーリン・シティでは、俺は自分の名前で知られるようになった」。レッグスは死に、ボルチモアを後にしたトゥパックは、自分一人の力でやっていこうと思ったのだった。マーリン・シティに着いて間もなく、彼は近所の若者と共同生活を始めた。トゥパックはクスリを売り、みんなと仲良くなり、その界隈で最新のジョークを提供するようになった。
 「分かってねぇ奴らが、俺のことを散々ディスしてたのは知ってたよ」、トゥパックは言う。「俺はいつも金がなくて、そのことでいつだってムシャクシャしてたんだ」。大げさにめくれ上がった彼の唇から、毒に満ちた言葉が吐き出される。「だってよ、女でも車でも家でも、凄ぇイイやつをバンバン手に入れてんのはみんなカスみてぇな野郎ばっかで、俺ときたら文無しなんだぜ」
 「あそこにいた間じゅう、あいつらはずっと俺をディスし続けてたよ」、トゥパックは言う。「俺は愛情を得たけど、その愛情っていうのは犬とか、近所のヤク中の奴にくれてやるような類の好意さ。あいつらが俺を可愛がったのは、俺が一番下だったからだ」。とは言え、彼がそこで、どこかひとつのところに落ち着くという感覚をようやく味わったのも事実である。「本当にフッドみたいな感じで、俺はそこの一員になりたかったんだ。もしここに馴染めれば、俺はクールな奴になれるって信じてた。実際自分ではそうなったと思ってたよ」
 トゥパックのラップで身を立てる野心を再燃させたのは、カリフォルニア北部のヒップホップ・シーンだった。彼はデジタル・アンダーグラウンド(以下DU)のリーダー、ショック・Gのオーディションを受け、ローディ兼ダンサーとして雇われることになった――まぁ、言葉の上では、だが。DUの“Humpty Dance”がブレイクすると、トゥパックは彼らと共にアメリカと日本をツアーし、最新流行のダンスを期待して詰めかけた観客たちの前で、ゴムの人形相手にガンガン腰を使って見せた。
 自分にとっての全ての流れが上向きになってきたと思い始めた矢先、トゥパック母親がクラック中毒に陥っていることを知った。「俺はDUと一緒にロードに出てたんだけど、その行った先からマーリン・シティに住んでるダチ連中んとこに電話かけたんだ、単なるあいさつのつもりでさ。そしたらそいつらが、うちのオフクロがどっかの誰かからドープを買ってるって言うんだよ。凄ぇショックだったね。俺はそれ以降、オフクロを意識の中から締め出そうとしてたんだ」。ゴールドの腕時計を指先でいじくりながら、トゥパックは言った。
 彼もアフェニも、その当時の事はあまり進んで話そうとはしない。「オフクロがヤクに手を出すようになってから」、トゥパックは言う。「俺は、何て言うか、彼女に対するリスペクトを失っちまったんだ」。彼は煙草で空中に環を描いた。「ニューヨークにいる時からずっと、彼女は俺にとってはヒーローだったんだ。男どもを片っぱしからブンブン薙ぎ倒してさ。俺はいつも思ってたよ、『見やがれ、あれが俺のオフクロなんだぜ!』って」
 アフェニはニューヨークに戻り、やがて麻薬依存症を断ち切って、現在は彼女の息子のマネージメントでありプロダクション会社でもある2Pacalypse Entertainmentで働いている。
 さて一方、トゥパックは彼女の不在を「ギャングのようにDUをリプレゼントする」ことで補った。彼は自分がいかにして「ポイントを稼いだか」を熱っぽく語る。「誰の批判もモノともしなかった。アルバムもまだ出てなかったのに、俺を知らない奴はいなかったぜ。ベッドに入って眠ったことはなかった。まるでそれが自分の仕事みたいに一生懸命やったよ。俺がこの世界に入って、何よりもまず最優先させたのはそれだった。ありとあらゆる人間に俺を知ってもらうんだ、って」

 私が初めてトゥパック・シャクールに会った時、彼は多くの人々を震え上がらせていた。『Juice』の中で演じたビショップ役のせいである。スパイク・リーの撮影カメラマン、アーネスト・R.ディッカーソンによって監督されたこの映画は、黒人青年の苦悩を描いた、それ自体は可もなく不可もない作品だった。だがトゥパックの演じた、精神病質者へと変貌していく非行少年役での陰鬱さが立ちこめるような演技は、映画の生命を長持ちさせ、私たちの頭の中には予言的なフレーズを残すことになった;「俺はイカレてるよ。だが他に何があるって言うんだ、俺の知ったこっちゃねぇぜ!」
 「彼はいわゆる、生まれついての俳優ってやつだよ」。そう語るのはジョン・シングルトン、言わずと知れている、『Boyz N' The Hood』と『Poetic Justice』のライター兼監督である。「分かるだろう、本物の俳優なんだ。彼の中には演技に対するメソッドから何からが全部備わってる。ひとつの役をいかに演じるべきかっていう考え方までね」
 トゥパックがその演技で受けた評論家たちからの高い評価(ニューヨーク・タイムズ紙は彼を“この映画で最も魅力的なキャラクター”と呼んだ)と、デビュー・アルバム「2Pacalypse Now」のリリースは、彼の人生が新たな局面を迎えていることを示していた。「今じゃどこのゲットーへ行ってもみんながすぐに俺に気付くし、みんなが俺のことを知ってるっていうのが最高だったぜ」
 そしてそれはまた、彼にとっての新たな存在理由の起点でもあった;サグ・ライフである。

 うららかな9月のある日、サウス・セントラル・ロサンジェルスのマーカス・ガーヴィー・スクールで、部屋を埋めた、大部分女性の教師と管理職たちを前に、トゥパックは“サグ・ライフ”の何たるかを説明していた。「こういう格好をしている奴を見たらdouble fingersなんだよ」、トゥパックはずり下がった自分のジーンズを指差しながら言い、強調するためにそれをさらに押し下げて見せた。私はオーディエンスを見渡してみたが、誰もが神妙に耳を傾けている。“サグ・ライフ”とは、トゥパックの説明のよれば、ブラック・コミュニティに対する彼の使命なのである――支援グループであり、ラップ・アクトであり、なおかつ理念でもあると言うのだ。“サグ・ライフ”は、社会の厳然たる真実を述べた言葉の頭文字を取ってつけられたのだという;“The Hate You Gave Lil Infants Fuck Everybody”(大人が小さな子供たちに植え付けた憎しみが、全ての人を蝕んでゆく)。
 「だが、何故凶悪犯(サグ)になる必要があるんだ?」年配の男性が尋ねた。
 「ならなきゃ自分の持ってるものを何もかも失うことになるからさ。サグ以外の誰が、俺を愛してくれるって言うんだ?」
 私はトゥパックの音楽を思い出していた;パブリック・エネミーとN.W.A.の掛け合わせであり、ブラック・パワーの理想主義と「警官なんぞクソ喰らえ!」というリアリティを併せ持つ彼の音楽を。彼のラップは叫びと、説教調と、そしてくだらないお喋りが、同じくらいの割合を占めている。音の方は非常に分厚く、時には音が大き過ぎてリリックが埋もれてしまうことさえもある。正直な話、ダンス・ミュージックにはなり得ない。もっともそれは恐らく意図的なことなのだろう。
 「トゥパックほど巧く痛みを言葉に出来る奴はいないよ。俺ほどそれを熟知してる奴もいないだろうしな」、彼は言う。「そこが俺と他のラッパーとの絶対的な違いなんだ。俺がラップの中で語ってる全ての痛みや苦しみは、聴いてれば目の前に見えてくるだろ」。そう、時には鮮明過ぎるほどに。しかし、それは単に彼が自分の音楽や演技の中で垣間見せているものということには留まらなそうだ――彼の女性や仲間たちとの付き合い方や、権威に対する考え方にも、その要素は確実に影を落としている。どうやら彼は自分の実生活とアートとを切り離すことが出来ない性分のようである。
 まず、最初はオークランドだった;1991年、トゥパックは信号無視及び公務執行妨害の容疑で逮捕され、警官に対し暴行を図ったとして1,000万ドルの罰金を請求された。次に1992年、マーリン・シティの誕生50周年を祝うフェスティヴァルの会場で旧敵と対決した際、6歳の少年が頭に流れ弾を受けてしまった。この件に関して、トゥパックに対しては刑事訴訟は起こされていないが、民事裁判は係争中である。また同じ年に、テキサス州在住の女性が、自分の夫――警官――を殺した犯人である若い黒人は、トゥパックの音楽に触発されて犯行に走ったとして、彼に対して数百万ドルを請求する民事訴訟を起こした。
 そして1992年の“In Living Colour”事件である。その日、トゥパックがセグメントをテープに録音するために、ザ・フォックスにやって来た直後に、彼の「リムジンの運転手が俺のホームボーイを蔑むような真似をしやがったんだよ。まるで奴が人間以下だとでもいうように怒鳴りつけてさ。それからその運転手は車のトランクの方に行ったんだ。俺たちにはそいつが銃を持ってるか持ってないかなんて分からなかった」。トゥパックと同乗していた友人は即座に車から飛び出し、運転手に飛び掛かったと言われている。トゥパックはすぐに逮捕されたが、間もなく容疑は取り下げられた。
 そして最後に、数年前、トゥパックは映画監督であるアルバート&アレン・ヒューズ兄弟と、『Menace II Society』の中の役を失くされたことをめぐって喧嘩になった。ヒューズ兄弟側はこの件にはノー・コメントとのことだが、一方のトゥパックには言いたい事が山程あるようだ。「あいつらには俺のこれまでのヴィデオ・クリップを全部手がけてもらってたんだ」、トゥパックは言う。「俺が『Juice』をやった後、向こうが『今度の映画の契約を取るために、お前の名前を使わせてもらってもいいか?』って尋ねてきた。それで俺は『あぁ、構わねぇよ』って言ったんだ。で、ジョン・シングルトンと一緒に仕事した時に言われたんだよ。彼は俺のデ・ニーロに対するスコセッシになりたい、主役級のものに関しては、自分の映画でだけ演って欲しい、って。それで俺はヒューズ兄弟に、ちょっとした役をくれりゃそれでいいって言ったのさ。だが俺はいかにもどうでもいい端役をくれなんて言った覚えはねぇんだよ。それでリハーサルの時に、俺たちは口論になっちまってさ。そしたらあいつら、『ジョン・シングルトンとツルむようになってからお前は変わったぜ』とか言い出しやがってさ。自分たちがジョン・シングルトンに対して色々あったもんだからつっかかって来やがったんだよ。あいつらには彼に対するライバル心があったのさ」
 ヒューズ兄弟はトゥパックを『Menace II Society』から降ろし(本人はこの事実をMTVを観ていて知ったという)、それから数カ月後、スパイス1のヴィデオを撮っている最中に、偶然彼に出くわした。トゥパックが双子につかつかと歩み寄り(「ありゃあ喧嘩としちゃフェアなやり方だったよ、そう思わねぇか?だってよ、2対1だぜ?」)、アレンに一発お見舞いすると、アルバートは逃げ出した。本誌(Vibe)の入稿締切日現在、アレンのトゥパックに対する民事裁判はいまだ続行中である。

 トゥパックの抱える問題について、私が9月にジョン・シングルトンと話をした時、彼はこんな風に言っていた。「みんな少し頭を冷やして、こいつはまだまだ成長過程にある若者なんだってことを理解するべきだよ、そうだろ?」。このトゥパックが「ハリウッドで友達と呼べる人物のひとり」であるシングルトンは、このラッパーを彼の次の映画、『Higher Learning』の主役に起用しようと考えていた。しかしアトランタとニューヨークでの相次ぐ逮捕騒動により、配給元のコロンビア・ピクチャーズからの圧力を受け、彼のスターを使うことを諦めざるを得なくなった。「そもそもあぁいう色んな事が起こってから、メディアは“良いニガー対悪いニガー”みたいな構図を作り出したがってて、俺が彼を自分の映画に出したがってないって書き立てたんだ」、シングルトンは言う。「そんなの嘘だよ。会社側は本心を言えば、彼が有罪だろうとそうじゃなかろうと知ったこっちゃないのさ。あいつらはただ彼と関わりを持ちたくないだけなんだ。俺はトゥパックと話をして、『俺は今でもお前の味方だぜ』って言ったよ」
 アトランタは90年代のブラックのメッカとされる街である。ここは黒人たちがビジネスで身を立て、家を持ち、市の行政を取り仕切り、伝統あるブラック・カレッジで学び、LAリード&ベイビーフェイスやダラス・オースティン、そしてジャーメイン・デュプリといった錚々たる面々に彩られた活気ある音楽業界を作り出し、社会的な力を得たことを実感出来る場所なのだ。そしてここはまたトゥパックのマネージャーが、彼のアーティストもここなら「より落ち着いた暮らしが営めるだろう」と家を購入することを決めた場所でもある。
 だが、10月31日、彼がこの家に引っ越してくるほんの数日前に、トゥパックは二人の非番警官、マークとスコット・ウィットウェルに対する発砲容疑で逮捕された。事件の発端はウィットウェル兄弟が何か交通規則に関することで口論の真っ最中、トゥパック一行がすぐ脇の路肩に車を寄せたことだと言う。しかし、次に何が起こったというのが未だにハッキリしないのだ。ウィットウェル兄弟はトゥパックが彼らに向かって発砲したと主張しているが、複数の目撃者がマーク・ウィットウェルが先に銃を抜いたと証言している。トゥパック本人は、その時ウィットウェル兄弟がいたぶっていた黒人男性を助けようとしただけだと言う。二つの加重暴行で起訴され、保釈金を積んで釈放されたトゥパックは、彼の弁護士たちと共に、彼と彼の仲間たちは単に自己防衛の行動を取っただけであるとの姿勢を貫いている。トゥパックの審問の日、マーク・ウィットウェルは加重暴行で告発されたが、調査担当の刑事は二人の非番警官たちの供述調書に「ニガーどもがやって来てドライヴ・バイ・シューティングを始めた」との記述があったことを認めている。
 ニューヨークの性的虐待の一件はさらに複雑である。状況の詳細は限りなく概略的なのだが(法的な事情から、本件に関しては現時点ではどちら側からも表立ったコメントは出せないのである)、トゥパックと彼の弁護士によれば、事件の経過は次の通りである;トゥパックと数人の友人たちは、11月14日の日曜日、ネルというクラブに出かけた。そこで彼は20歳の女性と出会い、彼女は殆ど間髪入れずに「ダンスフロアで彼の脇腹をまさぐって来た」と言う。そのすぐ後、弁護側の目撃証人たちによれば、彼女はトゥパックとオーラル・セックスに興じており(「それまで人前でてめぇのモノをしゃぶらせたことなんて一度もなかったからさ。俺にとっちゃ新しい趣向だったね」)、やがてトゥパックのホテルの部屋に戻った二人は合意の上でセックスをした。
 「そしたらあの女が毎日毎日電話かけてくるんだよ。あんまり押しが強烈なんで、こっちもちょっと怖くなっちまってさ」、トゥパックは言う。「彼女があったって言ったってことは、実際には起こっちゃいないんだよ。俺はあの女には触りもしなかった。俺自身はこいつは誰かが俺をハメようとしてやった事だと思ってるよ、単に俺がトゥパック・シャクールだからって理由でな。うちのオフクロはパンサー党員だった。今回のことは彼らのやってた活動と、俺がいまやってる仕事に端を発してるんだと思う」
 これまでの人生の中で、トゥパックは常に自分自身の存在を明確にするためにもがき続けてきた。最初は過激な政治活動家の子供として、次にギャングスタの息子として、それからマーリン・シティの無法者として、そして最後に自ら唱える“サグ・ライフ”を実践するラッパー、また映画スターとして。現代アメリカに生きる多くの若い黒人青年たちと同じく、彼の闘いは自分に不利な事態を強いるものに対する徹底的な反抗――内に対しても外に対しても――であった。トゥパックを見る時、私はそこに自分の姿を見、私のホームボーイたちの姿を見、私がこれまでに出会い、言葉を交わしてきた、自分の存在を世界に示そうと懸命に頑張っている数知れないブラザーたちの姿を見る。だがしかし、私がどうしても解せないのは、トゥパックの自分の存在を有効なものにしようとする努力が、何故これほどまでにいつも破滅的な方向へと向かってしまうのかということである。この数カ月の間、メディアが暴力事件をひとつまたひとつと取り沙汰する度に、沢山の人々が尋ねてきた。「一体トゥパックは、自己破滅の使命を背負って生まれてきたのだろうか?彼は死に対する願望があるんだろうか?それとも彼は狂っているのか?」。だが突き詰めてみれば、それらの質問を発することはひどく簡単である。それよりもっと難しいこと――人種やアメリカの社会階級について――については、きっと誰も考えたくもないだろう。

 アトランタの新居でくつろぐトゥパックは、親指の爪の先に小さく出来た裂け目の部分を歯で噛み切り、床に吐き捨てた。「こういうのは生きる原動力に関わるもんだね」、彼は言う。「時には朝目覚めると、いっそ“パーン!”って」、彼は想像の銃を頭に当てて、引き金を引いた。「やっちまってもいいかなって思うこともあるけど、俺はそれを絶対やらない。何故って俺は他の奴らに、それ以外方法がなかったなんて思って欲しくないからだ」。トゥパックは僅かな煙草の箱に手を伸ばし、一本くわえて火を点け、それから強く吸い込んだ。
 「あの(アトランタの)警官絡みの一件は別に問題ないんだよ、けどこの間のレイプ騒ぎはさ・・・」、彼は深々と深呼吸した。「あれはキツかったよ」。少しの間。「だって俺はやってないからさ」。彼の声が大きくなり、明らかな怒りの表情が表れた。「だいたいあの“Keep Ya Head Up”や“Brenda's Got A Baby”を引き合いに出すってのは何なんだ?あれが何の意味があるって言うんだよ?レイプで訴えられたからって、ただそれだけの事でかよ?」
 彼は殆ど涙声になっていた。
 「俺だってブラックの女は大好きなんだぜ」、トゥパックは続ける。「今回の騒ぎなんか何とも思わずに俺を支持し続けてくれる女の子たちが大勢いるってことで、俺の彼女たちへの愛情はますます深まったよ。けど実際、俺は最初に自分で言った言葉を実感したね。同じブラックの女だって、シスターもいればビッチもいるのさ」
 私は彼に、アトランタとニューヨークの裁判では勝算はあるのかと尋ねた。
 「あの連中がプレスが俺に対してやってるような攻撃の仕方を続ければ、俺は負けるかも知れねぇな。陪審は活字になってりゃ何だって頭から信じちまうからさ。もし俺にチャンスが与えられれば、黙ってムショ送りにされるような真似はしねぇけどさ」。彼はため息をついた。
 「俺のスピリットはいつか死ぬだろうけど、それ以外俺には他には何もないな。ひとつの統計値になるだけさ」。彼はにわかに陽気になった。顔に微笑みが広がる。「俺は神様を信じてるんだ。ただ責め苦を与えるためだけに俺をここまで成長させたはずがないってね。神様は俺を強い人間にするために、試練を与えてるのさ」
 「君がもう少し用心深くなるっていうのはどうなんだ?」、私が言うと、彼は愉快そうな表情になった。
 「だってよ、どこに行けばトラブルから縁が切れるって言うんだ?俺がアトランタに移って来たのだってそのためだったんだぜ。あいつらは一体俺に何をさせたいんだ?『用心深く』いられる場所なんてありゃしねぇよ。俺は親しみやすい野郎だし、ストリートにもしょっちゅう出て行ってる。他のニガーどもに俺がここにいるってことを知らせるためだけにでもな。だから俺はトラブルに巻き込まれやすいんだ」
 彼は乾いた笑い声をあげた。私は彼に死について尋ねた。
 「ちっちゃなガキの頃から、俺はずっと、誰かを助けて命を落とすっていうシチュエーションに憧れてたんだ。多分俺は白人のガキの身代わりになって死ぬんじゃないかって気がしてるんだけどさ」
 私は笑った。
 「いや、マジだぜ!」、彼は叫んで、自分の発言のポイントを強調するアンダーラインを長い腕で空に引いて見せた。「俺には見えるんだ、自分が・・・白人の子供を庇って撃たれてる自分の姿がさ。そうして俺が死んだ時、人々はきっとはじめて俺の言ってた事の真意を理解するんだ。俺がただの、ブラックはホワイトを皆殺しにしろ、なんて言ってる連中とは違うってことをさ」

[ END ]


『VIBE』(February 1994)
Interviewed by K. Powell / Translated bt A. Tamura



Special Back Number
2Pac New Album Special Interview (Shakur Estete)




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